食器洗いの進化

娘の冬休み中のお手伝いの1つが、「しょっきをあらう」でした。
自分で考えて、決めたお手伝いです。

せっかくのヤル気を大切にしてもらうために、
できるだけ口出ししないことにしよう!と決めました。
そのための私の作戦は2つ、
・食器の少ない朝ごはんの食器洗いをお願いする、
・割れたら悲しい大事な食器は、先に私が洗っておく、
でした。

洗った食器の置き方に興味深い現象と変化があったので、3枚の写真でご紹介します。

まず、1日目。
朝は食洗器を使わないので、洗った食器は食洗器の中に置きます。
こんな入れ方…↓
お皿は、使う時のように上向きで置くんですね。
しかも重なってるし。
スプーンは、先を下に向けて入れるんだ…。
ある意味、私にとっても発見です。

「できた~」という達成感の声には、
もちろん「ありがとう、お疲れさま」と声をかけて、
20分くらいしてから、こっそりお皿を伏せて置き直しました。

食器洗い3日目。
洗った食器を食洗器に置きながら、
「うーん、これだと水がたまっちゃうなぁ」と呟きながら、
何度も置き直してます。
「気付いたか!」と私もワクワクしながらこっそり見ていましたが、
私のマグカップには、最後まで「ん~」と悩みながらも
「よしっ!」と言って完成した状態がこちら↓


教えていないのに、かなり進化しました。

食器洗い6日目。
もう普通すぎて、こう言ってしまうと失礼ですが、おもしろくありません。

人生で1度しかない「初めてのこと」からの進化を目の当たりにでき、興味深いお手伝いでした。
大人にとっては当たり前のことでも、子どもの行動、その変化を観察してみると、
斬新で、そして、愛おしいものですね。

お手伝いをもっと楽しく!

私の今年の目標のひとつは「娘のお手伝いをもっともっと楽しく!」です。

子育てをする上で「お手伝い」って、気になりますよね。
小さな頃から「お手伝い」をすると「良い」ということも、よく聞きます。
でも「良い」って、なんでしょう?

数年前、このモヤモヤした疑問をスッキリさせてくれたのが、このTEDでした。
「我が子を成功させる、やりすぎない子育て」
(ジュリー・リスコット=ヘイムス)

我が子を成功させる方法は2つ、「love(愛)」と「chores(家事)」で、
点数や学歴で我が子の成功をはかる事はやめて、
家事のお手伝いを通して子どもの心を強くし、無性の愛を与えることで自分と他者を愛せる人に、と語っています。

お手伝いが、子どもの心を強くする…というのは、
「イヤな仕事だけど、私がやろうかな」「全体の向上のために、自分が頑張ろう」
と考えられるようになり、やがて組織やチームに役立つ存在になり得る…。

なるほどねぇ、と腑に落ちたわけです。

ただ、お手伝いをしてもらうと、余計に手間と時間がかかって大変!という声にも納得。
自分でやる方が、確かに早いです。
だから「毎日、必ずお手伝い」という決まりは、自分にも娘にもしてきませんでした。

記録に残る最初のお手伝い「えのきをほぐす」(2才)

ちくわをパン用ナイフで切る、
お米を量る、
洗濯物をたたむ、
お米を洗う、
お鍋の中を混ぜる、…などなど、
時間と気持ちに余裕があるときに、年齢と興味に応じて、楽しんでもらいました。

そうして今では、なかなか役にたつようにもなりました。
たまに娘から「なんかお手伝いある?」と聞いてくれることも。

私がお手伝いについて意識してきたことは、
親子で楽しい時間にすること(ケガもしないように)、
心からのありがとう、助かったよ、を言うこと、
そして「上手・キレイでなくてもよし!」と割り切ることでした。
ちくわの形もサイズも、バラバラ。
でも、問題なし!です。どうせ食べるんだし。

最近は、お買い物リストのメモも書いてもらっています。

私も忘れずに済んで助かっていますし、娘にとっては、字を書く練習になっているようで、ここまでくると、win・winの関係です(リストにないものをおねだりしない、という効果もあるような気がしています)。

各リストの右にある□は、買ったらチェックを入れるところだそうです。私への思いやりから生まれた工夫、なのかもしれません

子どもは大人のマネを喜び、やがて本物を楽しみたくなります。
それが「お手伝い」そして「愛」とも結びつけば、きっと親子のステキな時間になると信じています。

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この記事は、2020年1月5日(日)配信の堀江ジャンクションメールマガジンに書いた記事を、許可を得て、一部を編集して掲載しました。

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